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7月1日の閣議で集団的自衛権の行使を含む新たな安全保障政策の枠組みが閣議決定されました。途端に一部のマスコミは『戦争への一歩』のような的外れで意識的に民意をミスリードする報道を致しました。危機管理の要諦は国民の生命と財産、国家主権たる領土・領空・領海を守るためにあらゆる事態を想定して、それに対する対処方針を決めておくことです。
そのことが不測の事態を未然に防ぐ、あるいは被害を最小限に留める原点だからです。ダチョウは外敵が襲ってくると藪や砂の中に頭を突っ込んで見なかったことにすると言われています。事態を想定しない、考えないようにするエセ平和主義者はまるでダチョウの行動です。
集団的自衛権とはある国が戦争を仕掛けてきた際に、複数の国でこれを排除するというものです。誰かに喧嘩を吹っ掛ければ複数の者が反撃に出るという仕組みは、喧嘩を仕掛けることに慎重になります。東西の枠組にほとんどの国が所属し、二大グループの下に秩序が維持された冷戦構造が崩壊をし、民族紛争や宗教紛争による個別紛争や個々の利害による国別紛争が多発する現在、一国のみで他国からの侵略を排除できるケースは限られます。どの国ももはや一国のみで侵略に対処することは不可能になってきています。フィリピンのスービック基地から米軍が撤退した途端、フィリピン政府が実効支配をしていたミスチーフ礁を中国が力ずくで乗っ取り、海底資源保有を一方的に宣言した中国公船がその近郊で従来通り操業していたベトナム漁船を体当たりで沈めるという行為をどう防止していくかということを、対岸の火事ではなく他山の石として考えなければなりませんし、時間的猶予はなくなってきています。
戦争を防ぐためには侵略は断じてこれを許さないと国民が強い意志を持つことです。力による現状の変更は絶対に認めないという基本認識の上に具体的な行動をシミュレートしていくことが大事です。
内閣による憲法解釈の変更はけしからんという人がいますが、新憲法制定以降、政府は何度か解釈の変更を行っています。戦後直近の政府見解は、日本国憲法は自衛のための戦力の保有すら認めていないという解釈でした。その後、それではあまりにも実情に見合っていないということで自衛のための措置は取りうると解釈を変更致しました。これは当然の変更とはいえ、180度の解釈変更になります。その後、自衛のための措置の中には集団的自衛権は含まれないとさらなる解釈変更を行いました。今回は限定的に集団的自衛権は含まれると解釈変更を行ったわけです
限定的という意味は、日本に対する直接的侵略行為でなくても密接な関係にある国に対する攻撃が手をこまねいていれば、次の段階には日本の平和と安全に重大な事態を及ぼす場合にのみ限定されています。放置しておいて重大な事態になった方がいいと考える人はいないはずです。中国や韓国が反発していると報道されていますが、中国も韓国も限定条件なしに集団的自衛権を自国の行動には認めています。その行動を取ってきたわけです。自分には認めるけれども相手には認めさせない。
こんな論理にごまかされるほど日本国民はお人好しではありません。平時から有事に至るまであらゆる事態に警察権と自衛権がシームレスに繋がっていき危機管理に穴が開かないことが重要です。