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「正確には生検をしてみなければはっきりしたことは言えませんが、私の経験からすると癌の可能性が高いと思います。」慎重な言い回しをしながらも、医師から下された所見に衝撃を受けました。
二か月ほど前から朝方、口の中でピリピリとするような感覚がありました。『また寝不足で口内炎ができたかな。』と思いつつも、日中全く気にならない状態でした。しっかり眠ると翌朝はピリピリ感も消えていました。しかし、寝不足の朝はまた同じような感覚になります。そんなことがひと月も続いたある日、鏡に向かって、口内炎の場所を突きつめてやろうと口の中とにらめっこをしていた時に、舌の脇中ほどに小さな潰瘍が見つかりました。『はー、こいつが正体か。』と思い、綿棒で触りましたが口内炎ほどの痛みはありません。とりあえず、国会内の耳鼻科に行き、口内炎用の薬を処方してもらいました。ところが、普通ならよくなるはずの口内炎が、2週間たっても一向によくなりません。『これはおかしいんじゃないかな。』と思い、公務の合間を縫って再び耳鼻科を訪れ、「口内炎が薬を使っても一向に良くならないのは、おかしいんじゃないんですか?他の病気が疑われるということはありませんか?」「そうですね。では専門医を紹介しましょう。」
家に帰り、家内と相談すると「来週なんて悠長なことを言っていないで、明朝すぐにでも専門医の診断を受けるべきよ。」家内の言葉に背中を押され、翌日からあわただしい行動が始まりました。入院して精密検査を行い、最終的に出た結論は早期の舌癌でした。
医師の所見が告げられた時点で、総理には辞意を申し出ました。総理からは「まずは精密検査の結果を待とう。それに通常国会まではまだ十分余裕があるんだから。」と慰留されました。官房長官にも翌日に、閣僚辞任になるやもしれぬ旨を伝えました。
その翌日は、TPPの最大の山になる日米交渉です。これが大臣最後の仕事になるだろう、という悲壮な思いをもって会談に臨みました。『通商交渉、かくあれり。』と臨んだ交渉は、昼食をはさむはずが昼食抜きで三時間近くぶっ通しでのハードネゴシエーションとなりました。結局、その場で決着はつきませんでしたが、アメリカが初めて日本のセンシティビティーを深刻に受け止めた日となりました。
翌日から入院して、ありとあらゆる検査が始まり、最終的診断は生体検査、つまり、患部の細胞を摂取して顕微鏡等で検査をする、病理診断によって癌が確定しました。その日の夜に、再度総理に病室から電話で辞意を申し出ました。総理からは「時間的余裕はあるのだから、癌を克服して、たくましく職務復帰をする姿を見せて、病に苦しむ多くの人たちに勇気を与えてやってほしい。」と慰留されました。そこまで考えて頂いているのならと、総理の指示に従った次第です。
盲腸の手術すらしたことのない私にとって癌の宣告は、極めて辛い経験でありましたが、記者会見後、多くの人々から心配やら、激励やら応援を頂きました。政界、官界、経済界、後援者、そして見ず知らずの人たちからも・・・。自分がいかに多くの人たちに支えられて政治活動をしているのかを痛感する数週間でした。神は私に、立ち止まって感謝をする機会を与えてくれたんだと思います。
面識のなかった医学界の重鎮からは「甘利大臣は、日本の宝です。この道の第一人者を紹介しますから、是非その先生の診察を受けてほしい。」との連絡が知人を介してありました。そうしたアドバイスも含め、最善の道が選択できたと思います。
術後、3、4週間で公務復帰との見通しも、2週間に縮まりました。今後私が成すべきは、更なる努力精進を通じて、今までに倍する貢献を国家国民の為になすこと、と決意を致しました。ご厚情に衷心より感謝申し上げます。