総 覧
同期生の中川昭一代議士が急逝して一周忌の偲ぶ会が開催をされました。
祭壇の写真を前に、彼との思い出が走馬灯のように甦ってきました。ずけずけと遠慮なく物を言うくせに、シャイで言い過ぎた後すぐ、ひたすら詫びる姿を昨日のように思い起こします。
「昭ちゃん、酒呑み過ぎるなよ」「うん。最近はほとんど呑んでないよ」
事実、麻生内閣の一年間、夜数人で集まるとトマトジュースばかり飲んでいました。
逝き急いでしまった政治家ですが、記憶に残る鮮烈な生き様でした。
日米通商交渉の相手、米通商代表部のスーザン・シュワブ女史は、言い出したら引かない典型的なアメリカの女性でした。私が経済産業大臣、彼が自民党政調会長の時に、「甘利ちゃん、俺がシュワブと電話で先に交渉するよ」と言って交渉するや、次第にボルテージが上がって怒鳴りあい寸前。最後にシュワブが「今日は極めて非生産的な話し合いだった」と言って電話を切るほど。「あの鉄の女とそこまでやりあうんだから、あんたは大したもんだよ」「うん、バシっと言ってやったからな」
その後、私が電話会談をすると、多少強くこちらが主張しても相当優しい男と思われたんでしょう。かなり丁重に先方が対応してきました。
東シナ海の油田・ガス田交渉では強面の本領発揮。のらりくらりしながら既成事実を積み上げる中国に対し、毅然たる姿勢で民間会社に採掘許可を出し、それでも交渉に乗ってこない中国と見るや、その会社が採掘の前段としての周辺漁民との漁業交渉を許可し、こちら側も既成事実でグイグイ攻め立てました。
それを受けて担当大臣に就任した私は「中国にも世論があるだろうが、我が方にも強力な国内世論がある。いつまで中国のやりたい放題させるのか、といううねりを抑えきれなくなる時が間もなくやってくる。不測の事態になったらそちらの責任だぞ!」という事で、ついに共同開発というところまで持ち込みました。しかし、民主党の稚拙な対応により、また元の木阿弥に戻りそうです。
岡田幹事長は「自民党政権時代に共同開発の実務協議が進まなかったのに、第一回会合を開いたのは民主党の成果だ」というような事を言っていましたが、共同開発に持ち込むまでの努力がすべての成果の 99%を占めるという事をお忘れでしょうか。それも民主党の手によって台無しにされそうです。
天国から中川昭一君にどやされそうです。