国会リポート 第177号

甘利明本人が綴る、毎月2回のコラムです。国政で今何がおきているのか解りやすく解説しています。

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先週来日したアメリカのオバマ大統領の東京での演説には、重大で緊迫したメッセージが込められていたのを感じた方が多いと思います。オバマ氏の人柄を醸し出す気配りとジョークで始まったあの演説は、やがて世界のリーダー、アメリカとしての強い意思表示へと変わりました。

「戦後、日本の発展は奇跡と称された。その奇跡は日本人が引き起こした物だが、アメリカも日本の安全保障を担うという点で大いに貢献したという事を忘れてもらっては困る」

また、「アメリカは自国の利益に沿って行動する。日本に対しても、中国に対しても、アジアに対しても、アメリカの国益を踏まえて行動する、アジアの成長をアメリカに取り込むための枠組みには必ずアメリカも参加する」という強い意思表示でした。

前者は、アメリカの安全保障に関する国際戦略の一環としての日本との二国間協力である在日米軍再編について、その実行を強く迫った物です。

5~6年前、当時幹事長であった安倍晋三氏から声をかけられ、厚木基地を本拠地とする米軍艦載機部隊の山口県岩国基地への受け入れの尽力について提案がありました。私の政治生活の中で最大の未解決案件でありましただけに、願ってもない提案であり、二人で協力していく事を約束しました。

その後、当時の岩国市長が反対表明をしてしまったため、受け入れ容認派の市長を擁立すべく安倍門下であった福田衆議院議員が敢えて衆議院議員を辞し、勝つか負けるかわからない岩国市長選に挑戦をしてくれる事になりました。私も応援に入ったその選挙はわずか千票に満たない差での薄氷を踏む勝利でありました。もちろん民主党は受け入れ反対派の現職を全面支援しました。

選挙後、福田新市長とも会談いたしましたが、後に日本の安全保障を担う長州人の心意気として受け入れ容認の表明をして頂き、ここに米軍再編のパッケージに厚木基地艦載機部隊の移転も組み込む事ができた次第です。

普天間は沖縄海兵隊ヘリ部隊の滑走路があるところですが、街中でビルに囲まれています。厚木基地が住宅の中の滑走路と言われるのに対して普天間はビルの中の滑走路と言われる由縁です。この負担を軽減するために色々な検討と調整が 10年間行われてきましたが、最終的に在沖縄海兵隊のうち 7千人を国外 (グァム)へ 移転する事とあわせ、普天間基地は名護市キャンプ・シュワブ沖へと県内分散するという事で決着いたしました。

沖縄はもちろんの事、日本もアメリカもいずれもが不満を持ちつつの合意案として 20007年の日米外務大臣・防衛大臣会合で合意文書が取り交わされたもので、どれか一つを外すと全体が瓦解するという硝子細工でした。

政府間の合意ですから、政権が変わったら白紙撤回という物ではありません。社長が変わったら契約が無効になる会社など誰も相手にしませんから、新政権の対応には日本国の信用がかかっています。

『寝た子を起こしただけでは何の解決にもならない』と、はき捨てるように言った沖縄のオピニオンリーダーの言葉が重く響きます。

オバマ演説のもう一点は、東アジア構想の取り扱いについてです。

鳩山総理と中国の温家宝総理との会談で、東アジア共同体構想を語る際鳩山総理の「我々はアメリカに依存し過ぎた」という表現は「アメリカ抜きで日中韓でアジア経済圏を作ろう」というニュアンスに受け止められています。

私が経済外交交渉をした経験で言えば、太平洋国家たるアメリカは、アジアの新たないかなる枠組みにも積極的に加わっていくという強い姿勢があります。むしろ、アメリカが外される事に恐怖感すら持っているだけに『アメリカ抜きの』というニュアンスが伝わる事には最大限の警戒をしなければなりません。

結果として米中・米韓で『日本抜き』の東アジア構想が進んで行く危険性を感じるのは、私だけではないと思います。

 

今週の出来事「天は三物を与える?

 

小泉進次郎さんが国会議員として初の質問を行いました。菅直人副総理を相手に一時間の質問でしたが、それは見事で堂々たるものでした。私の席は質問者の後ろですので、時にエールを送り、時に大臣の不埒な答弁を叱責する野次をとばしました。

思い起こすと 2年前、私の経済産業大臣室に米国の戦略研究所 (CSIS) ハムレー所長 (元米国防副長官)、マイケル・グリーン日本部長一行 7~8名が訪れた際、CSIS スタッフの一員として留学中の進次郎さんが同行しました。

当時の印象は、爽やかで政治的ユーモア感覚のある政治センスの良い若者という感じでした。英語が堪能で政策に強く、おまけにイケメン。世の女性が憧れるのも無理はない。

あ~ぁ。また、自己嫌悪に陥りそう… (苦笑)