国会リポート 第173号

甘利明本人が綴る、毎月2回のコラムです。国政で今何がおきているのか解りやすく解説しています。

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自民党総裁選が告示されました。谷垣禎一、河野太郎、西村康稔、3氏それぞれ自民党の逸材が揃いました。

同志の議員やマスコミから「甘利さんはどうして出ないんですか?」と、再三質問を受けましたが、麻生総理の側近と認識されていた以上、今回の敗北の責任の一端は私にあります。今回は、神輿にならず担ぐ方に回ると決めておりました。

ここで大事なのは、自民党の全議員・全党員が意識改革からスタートする事です。かつての 400人政党ではなく、200人になってしまった政党である、という所から出発するべきです。

私の目から見れば、長老の一部も若手の一部もいまだに大政党の幻想から脱却していない言動が目に余ります。自分から号令をかければ、そのグループを意のままに動かせると思い込んでいる長老。一方、相も変わらず執行部批判をしてさえいれば国民に評価されると信じている若手。私の目から見れば双方とも『アンシャンレジーム (旧体制)』からいまだ脱却できていない人達です。

200人になってしまった政党は、若手から長老まで全議員の力を結集しなければ再生は無いという事を肝に銘ずるべきです。自民党に不用な人材など 1人も作ってはいけないのです。

今の自民党のリーダーに必要な要素は、ビジョンや能力だけでは足りません。200人の老・壮・青を一つにまとめる能力、つまり人徳と誠実さが必須の要件なのです。

若手の両氏も自民党の将来を担う大事な人材である事には間違いありません。しかし、かつての小泉流のように党内対立を煽って、正義を振りかざすやり方はもはや党の遠心力にこそなれ求心力にはなり得ないのです。世代間対立を煽り、若手以外はいらないかのような亀裂を作ってしまったら党の再生は二度とありません。

我々の反省は、国民的人気をあてにしてリーダーを探し、人気が落ちれば次なる人気にすがろうとする甘えを心の隅から追い出す事から始まります。神輿とは担ぐものであってぶら下がる物ではないのです。ぶら下がろうとする意識が国民の受けを狙い、ポピュリズムに走らせてきました。次から次へと繰り出される民主党のばら撒きを批判する資格は我々にはないのかも知れません。国民は政府からサービスを受けるだけ、政府はひたすら国民の歓心を買うための新たなサービスを提供し続ける、まるで古代ローマ帝国の『パンとサーカス』のような政治にしてしまってはこの国は十年と持ちません。困難を乗り切るために国民も一緒に努力をしてもらう、そう呼びかけるのが政治です。そして、先頭に立つ政治家は国民の 2倍、3倍の努力をいとわない。国民は傍観者でなく一緒に汗をかいてくれる同志であるという事を忘れてはなりません。

第35代アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディは数万人の聴衆を前にした就任演説の中で「新しい大統領と新しいアメリカが国民のために何をしてくれるのかを期待する前に、国民の皆さん方一人一人がアメリカのために何ができるかを考えて欲しい。その先にアメリカの未来はあるのですから。」世紀に残る名演説は、正に今の日本を象徴していると思います。

全国民の汗と努力を結集し、政治家がその先頭に立って総力戦で日本の未来を切り拓いていかなければなりません。『全員の力を貸して欲しい!』そう訴える姿勢が今の日本に、そして自民党に必要な姿勢なのです。

 

今週の出来事「政転換?

 

厚生労働大臣に就任をした『ミスター年金』こと民主党の長妻昭衆議院議員が、最初の会見で後期高齢者医療制度を廃止すると宣言いたしました。

かつての高齢者医療制度は市町村ごとに運営されていたため、財政力の弱い小さな市町村ほど負担も保険料も高くなるという格差・不公平さが限界に来ていました。新しい制度で、県単位に広域で運営し財政力格差と保険料を平準化した公平な制度にしたわけですが、いかんせん「姥捨て山」のような悪宣伝がすべてを台無しにしてしまいました。

「廃止した後の新しい制度はどう作るんですか?」という記者からの問いに「今、課長に検討させています」

『え~っ?!それって民主党が批判していた官僚への丸投げって言うんじゃないの?』

長妻さんの新しい愛称が決まりました。『ミスター年金』改め『ミス (ミステイク) 年金』です

…就任祝いに赤いリボンでも贈ろうかな。