総 覧
南アフリカ・ボツワナで資源交渉を行い、その足でシンガポールに周り日・ASEAN、EPA (経済連携交渉) を妥結させ、総理と合流し 5 泊 9 日 (残りは機中泊) の旅を終え 11 月 22 日に帰国しました。
日本のハイテク家電や燃料電池、自動車用触媒や工作工具等、日本の高付加価値政策を支えるモノ作りにとって必要不可欠なプラチナやタングステン、モリブデン、インジウム等、いわゆるレアメタル (希少金属) は日本に存在しないばかりか、世界でも極めて偏在しています。中でも、レアアース (希土類) は生産の 9 割を中国が抑えており、まったくの言い値販売です。最近は輸出制限までかけ、価格はこの数年で 5 倍から 8 倍に上がりました。首根っこを中国に押さえられている状態では日本の将来はおぼつきません。
兼ねてから何とかこれを打開すべく調達先の多様化を、と考えていました。アフリカ大陸は、レアメタルの宝庫といわれながら長らく手が付けられませんでした。意を決してトップ外交をすべく、日本の経済大臣として初めて南アフリカを、そして日本の閣僚として初めてボツワナを訪問しました。それぞれ、大統領以下主要閣僚との会談を通じ、開発協力を取り付ける事に成功しました。
戦後 60 年間で、アジアに投じられた ODA の金額とアフリカに投じられた ODA の金額はほぼ同額であるにもかかわらず、アジアは自立しアフリカは依然貧困にあえいでいます。アフリカを主に担当した欧米はいわば生活保護型援助であり、アジアを担当した日本のは自立支援型でありました。日本のノウハウがアジアの自立を助けた事は疑う余地がありません。
アフリカでの大統領とのバイ会談に臨み、その事を協調しました。「採掘された鉱石を売るだけのパートナーか、付加価値を付ける加工産業を育てながら、付き合うパートナーか。どちらを選ぶかで、あなたの国の将来が変わります。」 私の話に熱心に耳を傾けてくれた両国首脳は、日本と協力するメリットを相当理解してくれたと思います。
日本の資源探査衛星 2 基を使い資源の賦存状況を調査し、その解析のノウハウを伝授していく提案は南部アフリカの自立への強力な支援策として大歓迎されました。また、2010 年にアフリカ大陸で初めて行われる南ア W 杯サッカーに対し、南部アフリカ 14 カ国の小学生に公式ボール 1000 個を送りました。同時にマラリア予防用の蚊帳 10 万張をそれぞれ経済界の協力の下にプレゼントしました。ボールは子ども達の夢を育み、蚊帳は命を救うプレゼントだと最大級の感謝の辞を贈られました。
続いてシンガポールで行われた日・ASEAN 経済大臣会合で EPA を妥結しましたが、関係者から 『日本の政治史に残る快挙』 と絶賛を浴びました。
これら交渉日程を組むにあたり与党はもちろんの事、民主党を始めとする野党の皆さんが最大限の協力をして下さった事に、心から感謝いたします。