経済産業大臣としての主な実績(2006年/平成18年〜)

1)資源外交

  • ウランの 40%を中央アジア・カザフスタンから
    1. 2007年 4月末に経済産業大臣として初めてカザフスタンを訪問し、ナザルバエフ大統領らと会談。
    2. マシモフ首相同席の下、24 の資源協力案件を両国間で合意。我が国のウラン総需要量の 3~4割に相当する権益を確保した (これまでカザフスタンからのウラン調達量は日本の需要の 1%程度に過ぎなかった)。また、原子力平和利用協力協定の交渉開始にも合意。
  • 日米原子力協力:米国での 30年ぶりの原発建設に日本の経験・技術で協力
    1. 2007年 1月、米国ボドマン・エネルギー長官と「日米原子力エネルギー共同行動計画」に合意。米国はエネルギー安全保障・CO2 削減に欠かせない原子力発電所建設への協力を日本から得、日本は米国原発市場に進出するという互恵的協力関係構築を目指すもので、日米原子力協力にとって画期的な転換点となった。
  • イラク訪問
    1. 各国企業が資源権益確保に動く一方、日本企業が治安への懸念から尻込みする中、2008年 6月、甘利自ら自衛隊機でイラクを電撃訪問。
    2. ハーシミー副大統領、マーリキー首相、シャハリスターニ石油相と会談し、イラクの経済復興への協力を表明。イラク側から、復興の柱となる石油産業や水・電力などインフラ復興への日本の貢献に強い期待が表明された。
    3. これを受けて、我が国企業のイラク石油権益獲得に向けた動きが加速した。

2)希少金属資源 (レアメタル・レアアース) をアフリカから

  • 2007年 11月、南アフリカ共和国とボツワナ共和国を経済産業大臣として史上初めて訪問 (ボツワナは日本の閣僚として初)。産業協力等の我が国ならではの提案を行い、戦略的互恵関係を構築しながら、レアメタル等確保のための資源外交を展開した。
  • ボツワナでは、モハエ大統領らと会談し、南部アフリカ開発共同体 (SADC) 14ケ国への日本の先進技術を用いた鉱物資源探査や技術移転に合意。
  • アフリカでの我が国資源戦略のさきがけとなる甘利の訪問を受け、2008年 7月 JOGMEC (石油天然ガス・金属鉱物資源機構) がボツワナに衛星画像分析・探査センターを開設。レアメタル等の日・アフリカ共同開発につながることが期待される。

3)アセアンEPA

  • 2007年8月、アセアン各国の経済大臣と粘り強い交渉を行い、我が国初の多数国間の経済連携協定となる「日アセアン包括的経済連携協定(AJCEP)」の大筋合意を成し遂げた。(その後2008年4月署名、12月発効)
  • この協定により、日本とアセアンの市場がより"継ぎ目のない" ものになり、日本企業の国際展開がしやすくなると期待される。

4)国際標準化戦略

  • 日本企業が『アウェー』でなく『ホーム』で戦えるようにするには、ルール=国際標準を我が国が主導して作ることが必要。2006年11月、官民関係者を集めた会議で「国際標準化戦略目標」を決定し、2015年までに国際標準提案件数を倍増させ、欧米並みの幹事国引受数を実現する取組みを開始。

5)サービス産業の生産性向上

  • 少子化時代でも日本経済が成長するためには、日本経済の 7割を占めるサービス産業の生産性を高めることが不可欠。このため、産学官による「サービス産業生産性協議会」を 2007年5月に設立し、サービス分野への科学的・工学的手法や製造業ノウハウの活用、サービス品質向上、人材育成の取組みを開始。
  • 同協議会は、我が国で初めての顧客満足度指数(CSI)の開発などの成果をあげつつある。

6)株式会社産業革新機構

  • 日本には、十分に実力が発揮できていない技術が多数眠っている。大企業、ベンチャー、大学等に分散しているこうした技術・事業を集約・組み合わせて、成長性の高い市場を獲得するため、不足しているリスクマネーを公的に下支えする「産業イノベーション機構」を甘利が発案。
  • 2009年7月、1兆円規模の資金力を持つ株式会社産業革新機構が発足。新たな成長・雇用のタネの掘り起こしが本格的に始まる!

7)ACTA(世界模倣品海賊版防止条約)

  • 甘利の提案で2005年のG8 グレンイーグルス・サミットで小泉総理から提唱し、国際的賛同を得た。
  • 2007年10月には、集中的議論を始めるよう、関係国とともに議論をリードし、現在、2010年中の合意を目指し、国際交渉が継続中。

8)農商工連携

  • 2007年10月、大臣特命プロジェクトチームを組織し、甘利の陣頭指揮の下、地方経済の活性化策を検討。「農商工連携」促進による地域経済活性化策をとりまとめた。
  • 「守りの農業から攻めの農業へ」と発想を転換し、「地域の主要産業である農業を中小企業との連携・協力で元気にし、地域を元気にする」ため2008年5月に農商工連携関連2法案を成立。同年7月の農商工連携サミットを皮切りに全国に農商工連携を展開。

※ 参考 (農商工連携 2法の法案審議での答弁より)
「…あらゆる日本中にある資源を全部コラボレート (連携・協力) させる… (農業は)WTO 交渉で少しずつこじ開けさせられていく中で、じゃ守りきれないで終わりましたというのかと。…じゃ農業を守るんじゃなくて逆に攻めたらどうなるのと。…従来考えていた基盤と別なフェーズ、別な縦横軸で物を考えるとどうなるんだろうかということが私の発想の原点であります。…地域の主要産業であります農水産業が元気になるということ=地域が元気になる、そういう思いで (法案を) 提案をさせていただいた次第であります。」