国会リポート 第255号

甘利明本人が綴る、毎月2回のコラムです。国政で今何がきているのか解りやすく解説しています。

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昨年12月26日、第2次安倍内閣発足に伴い、最重要課題である日本経済再生の「司令塔役」を拝命致しました。

政治家としてこの上ない光栄ではありますが、「日本の命運がかかっていますから」と総理に言われると、責任の重さに身震いが致します。

『日本は経済大国の地位を失いつつある。』

最近とみに感じている私の危機感は、与野党問わず、国会議員に共有してもらいたい認識です。

官民の叡智を結集し、日本の復権に取り組んでいかなければなりません。民主党にも優秀な政治家はいるはずなのに、この3年3ヶ月、日本が奈落の底に落ちていったのは『政治主導』という言葉の呪縛に身動きが取れなくなってしまったからだと思います。

政権与党と野党との違いは、官僚機構という日本最大のシンクタンクを指揮命令下に置けるか否かであるのに、官僚機構を使うということと官僚主導とを同義語にしてしまった、あるいはマスコミによってされてしまったところから悲劇は始まります。

官僚一人一人の能力は高く、志も高いはずですが、省益や局益を第一に考えるというトレーニングを入省以来されてしまうというところに問題があります。彼らの能力を縦横に使いつつ、省益ではなく国益に向かって叡智を結集させるのは正に大臣たる政治家の手腕です。

「この大臣の下ならいかなる労も惜しまない」と思わせることが出来るかどうか、政治主導とは主導する政治家の手腕・力量・情熱に掛かっているのです。どんな素人が大臣になろうと政治主導が発揮されるシステムなど存在しないということを、政治家は明記すべきです。

さて自民党が総選挙に勝ち、安倍政権がスタートしたわずか半月間で株価は2000円近く上げ、為替は10円近く円安に振れました。

何もしていないのに期待値だけでこれだけの振れ幅は、この3年3ヶ月がいかに悲惨であったかの反動と新政権への期待値とが混在しています。

実際に金融経済対策が策定された時に、期待を裏切るようだと反転するリスクも含んでいます。
マスコミの取材でしばしば「過去に何度も経済成長戦略が策定されていながら、その実行が思うように上がらなかったのは何か」とよく聞かれます。

もちろん安倍政権が策定する成長戦略は過去のものをコピーするわけではなく、新しい切り口でブラッシュアップしたものにしていきますが、要諦は推進体制だと考えます。

どんな素晴らしいプランを掲げようとも、何年以内になにがなんでも実行する、という確かなロードマップと強固な決意による実施体制が伴わなければ、やはり絵に書いた餅に終わってしまいます。

2兆円規模の予算を持ち、基礎研究から実用化までを一気通貫で仕上げてしまうアメリカのライフサイエンスに関わる研究機関NIHがよく引き合いに出されますが、この組織の強みは上流から下流への体制を持っていると同時に、時限を切って必ずアウトプットを出すという強固な意志が存在するからです。

今回経済再生本部の下に産業競争力会議を設置し、9名からなる民間有識者の叡智を集め、成長戦略の策定と実施に向けての政府のコミットをする体制を整えました。何年以内にどこどこの分野にこれだけの国費を投入し、こういう規制改革を行い、こういう税制優遇措置を盛り込む。明日を担う技術開発、商品開発を照らし出し、徹底的な環境整備を行い、民間経済主体にリスクテイクと投資の決意をさせる。そのシステムを構築することが科学技術創造立国日本を復権させる唯一の道です。

 

今週の出来事「過ぎたるは及ばざるが如し」

 

1月4日、安倍総理のお供をして伊勢神宮に参拝を致しました。随行閣僚が11名と過去最大ならば、待ち受ける観客も過去最大規模。

伊勢神宮の現場は20年に一度の式年遷宮の影響もあり、参拝客が例年にも増して多いのは頷けますが、乗り替える駅で総理を待ち受ける人数も過去最大規模となりました。この政権に対する期待の高さを目の当たりに致しました。

「安倍さーん」 

行く先々で掛かる熱狂的な声に混じって、

「甘利さーん」とたまに声が掛かったのは初めての経験でした。

差し出された手の方に寄っていくと、次から次へと握手の手が伸びて来ます。これって群集心理なんでしょうね。

そうか。来年は後援会の人を何人かずつ各所に紛れ込ませておけばいいんだ。

ん?必要ない?来年は平議員?