国会リポート 第202号

甘利明本人が綴る、毎月2回のコラムです。国政で今何がおきているのか解りやすく解説しています。

総 覧

国会が閉幕いたしました。今国会は、我々がとかく避けて通ってきた東アジアに於ける安全保障の在り方を痛感させられるものでした。

外交的友好と安全保障は別次元で語られなければならない、つまり仲良くしてさえいれば、仲良くする努力をしてさえいれば、国防の事は考えなくても良いという平成の泡沫 (うたかた) に冷水を浴びせられる現実と直面いたしました。

近隣国との関係は、右手で握手をしながらも、左手で拳を握っている姿勢をゆるめてはいけないという現実を嫌というほど見せ付けられました。

しかしこれは外国では常識であり、日本だけが特殊な国なのです。国防を怠りなくするという事が友好に繋がるという世界の常識に真正面から向かい合わなければなりません。

中国は 20年以上の間、毎年 2桁の国防費を増大してきました。この 20年間で 20倍の規模にし、日本を凌駕しております。

中国海軍の将軍がかねて主張していたように、まずは『第一列島線』つまり、沖縄から台湾、フィリピンへとを結ぶラインの中国寄りを中国の内海とする。続いて『第二列島線』つまり、小笠原諸島からグァムを経てパプア・ニューギニアに繋がる線、ここからアメリカの影響力を駆逐する。この目的に従って着々と作戦が進められてきています。

つまり、このまま放置すれば日本のシーラインはことごとく中国海軍の支配下に置かれ、中東から油を運ぶタンカーも中国の許可がなければ航行すらできないという事態になりかねません。

「アメリカとの連携」は今まで以上に日本の死活問題となっていきます。

そのアメリカの力が落ちてきている以上、韓国・台湾・ASEAN・インド・オーストラリアを日米に加えた東アジアの安定のための戦略として、より真剣に考えていかなければなりません。

自民党時代の安全保障に対する事なかれ主義も尾を引いていると反省せざるを得ません。

選挙に不利だから正面から議論したくない。本格的に外国と事を構えると、国際世論の反感を買いそうだから触らない方が良い。こういう姿勢が少なからず影響した事は否めません。

麻生総理が外務大臣時代に唱えた「自由と繁栄の弧」の構想は、価値観を共有する日本・韓国・ASEAN から、インド・ヨーロッパへと延びていく連携の帯が価値観を異にする中国に警戒感を持たせるという批判がありましたが、膨張する中国を国際社会に応分の責任を負う国として組み込んでいく作業は、一国や二国ではとても手に負えないという今日の姿を想定していたのではないでしょうか。

「友好」だから安全保障は考えなくて良い、という発想から、「友好」のためにこそ安全保障に緊張感を持つという「世界の常識」に日本もようやく入っていく事になります。

日本にとって不幸な事は、想定していたシナリオが現実になりつつある時に、国家主権とか国防とかの意識から最も遠い市民運動家政権が出来てしまったという事にあります。

集団的自衛権の憲法解釈も、与野党超えて現実に則して対応していかなければならない時です。

問題解決をしていく時には一番嫌な問題から取りかかるという原則を、与野党すべての国会議員が噛み締める必要があります。

安全保障の問題、消費税の問題等、不人気な問題から逃げず、景気回復や財政再建のスケジュールとあわせて国民に提示し、真摯に協力を求めていかなければなりません。

 

今週の出来事「カンは投げ出した?

 

「髪型変わったよね?ジュリアス・シーザーみたいでカッコいいよ。」大学の同級生の海江田君 (あっ!今は大臣様だ!) からの言葉です。

先日、本会議場で菅総理の前を通ると「甘利さん、髪型変えたんだよね?」

「えぇ。ジュリアス・シーザーカットと呼んで下さい。」

「ふ~ん、じゃあ早くルビコンを渡ってよ、大連立へ。」

えーっ?!衝撃発言!それって本音?それとも外交辞令??

二千年前、ジュリアス・シーザーは元老院令で禁止されていた兵を率いてルビコン川を渡る、つまりそれはローマ共和国への挑戦という事を意味しますが、それを強行しポンペイウスと戦い権力の座に就きました。

そのルビコン川を渡るときの名台詞が「サイは投げられた!」というものです。

菅総理の発言は相当意味深長です。

あれ?待てよ?シーザーってその後、元老院で暗殺されちゃうんだよね?それって俺の将来?

う~ん…魑魅魍魎 (ちみもうりょう)。