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「散々反対しといたくせに、良く言いますよね。岩国の地元では、未だに民主党の代議士が受け入れ反対運動をやっていますよ。」
我が選挙区の民主党・橘議員が「岩国に予定通り厚木基地の米軍の部隊が移設するように防衛大臣に働きかけていますから。」という事を恥ずかしげもなく言い回っていますよと、あるパーティで一緒になった安倍晋三元総理に話した時の反応です。
そもそも厚木基地の米軍艦載機部隊の岩国基地への移設問題は、私の訴えに応えて 7~8年前当時幹事長 (?) だった安倍氏から提案されたものです。
(安倍)「岩国基地自体は私の選挙区ではないのですが、何とか厚木の部隊を岩国で受け入れる事は出来ないかと考えているんですが。」
(甘利)「ぜひ、その検討を進めては頂けませんか?滑走路を沖合展開する事になれば、騒音とリスクは最大限軽減されるでしょうし。」
と、本会議場で話し合ったのがスタートでした。在日米軍の再編案の中に折り込んで行くという事になったわけですが、その後が大変でした。
当時、受け入れ反対派の井原市長は突如辞表を出して、反対派の代表として、自身が辞職した市長選に再立候補するという行動に出ました。この間、民主党は井原氏を全面的に後押ししたわけです。これに対し自民党は、当時岩国を選挙区としていた福田良彦衆議院議員が安倍幹事長と協議の上、衆議院議員を辞職して市長選に出る決意を固めました。地域に骨を埋める覚悟の下に、日米の信頼関係と安全保障の揺るぎない推進のためにリスクを承知で転身する事を決断したわけです。衆議院議員としては地盤が固まっていた現職議員が、当選するかどうか定かでない市長選に打って出たわけですから相当な覚悟が必要であったと思います。
選挙戦は熾烈を極めました。受け入れ反対派の民主党と、受け入れ容認派の自民党との全面対決になりました。私も、現地の経済団体に呼びかけ、全力で支援致しました。結果は僅差で福田市長の誕生となりました。各方面と協議の後、程なく福田市長は受け入れ容認を表明してくれました。受け入れ容認派の方々は「日本の安全保障の一翼を担うという長州人の心意気です。」と我々に言ってくれました。
その後、再編案の具体化の中で平成24年度までに施設整備を終え、全面移転をするというスケジュールが確定致しました。この間、民主党は一貫して受け入れ反対運動を展開していたわけです。
これが経緯ですから、「よくも、いけ図々しく『岩国移設を推進致します』などと言えるもんだ!」との怒りが込上げてくるのもご理解頂けるかと思います。
民主党は、すべてにこの種のマッチポンプ手法を厚顔無恥に行っています。小泉内閣時代に既にギリギリまで削り込んでいた公共事業を「コンクリートから人へ」と唱えてさらに 2割カットしたかと思えば、「いい公共事業はどんどん推進します。」と言って削っておいた事業を、ちゃっかり補正予算で実行するという事を『しゃあしゃあ』と行います。
日本国民は、そんなやり方でごまかせるアホウだと思っているんでしょうか?ワシントンポストで「いかれたアホウ」と評されたのは鳩山総理ご自身ですから。
ワシントンでの日米会談は『濃密な 10分間の会談』だったそうですが、その内容がアメリカ側から漏れてくると、またもやガックリするようなものでした。
「ホントにやり遂げられるの?」「もう、タイムリミットだ!」等、オバマ大統領の鳩山総理への言葉は詰問に近いものだったようです。
「私は愚かな総理かもしれません。」と本会議場で答弁した時にはどよめきが起こりましたが、どちらかの会合の席で「愚かな総理を抱えている国は、やがて滅びます。」と発言したのは、自身を意識しての事なんでしょうか?