国会リポート 第183号

甘利明本人が綴る、毎月2回のコラムです。国政で今何がおきているのか解りやすく解説しています。

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私が大臣として手がけ、苦労の末に取りまとめ、国会に提出した国家公務員法改正案は、審議未了で廃案とされ、民主党政権の手により仕切り直して国会に再提出されました。

みんなの党の渡辺喜美代表が「麻生内閣の時の法案の方が遥かに立派だった」と予算委員会で正した通り、みすぼらしい物になりました。公務員制度改革の内容が甘いだとかスピードが遅いだとか、野党時代に散々批判をしていた当の民主党の案は、重要な部分が全て抜け落ち、公務員労働組合に迎合した見る影もない物になってしまったと同時に、全体のスケジュールも大幅に延期するために基本法まで改正するという体たらくとなりました。

マスコミ報道で一般国民が受け止めている印象とは裏腹に、政治の内側から見れば、発足以来の民主党政権の対応にまともな物は何一つないという状況です。

国民の皆さんにその実態が正確に伝わった時には、時既に遅し、わが国は手の打ちようのないところまで行ってしまっているのではないかと危惧します。

公務員制度改革は、世界の変化・時代の変化に政治・外交・経済が機敏に対応できるように、公務員のポストや人材を政府が機動的に再配置する、そして公務員が使命感に燃えて大臣を補佐していけるよう、いかに優秀な人材を採用・育成していく中で公正な人事を行っていくか、そしてその中で政治への応答性、つまり大臣主導の人事を公正性と両立して取り計らっていくかにあります。

内閣官房による一元管理とは、幹部職や管理職のポストや人材の再配置を政治主導で行えるようにし、非管理職の省庁を超えた横断的人材配置にまで指針の作成を通じて内閣官房が関与するという事を指します。つまり、次官・局長に始まって係長・平職員までグリップの仕方にグラデーションは付こうとも、上から下まで政府の目が届くようにするという事です。然るに、今回の民主党政府案は部長以上の幹部職だけでお茶を濁し、一般職員、つまり労働組合員には何らのガバナンスも働かないようにしてしまう案です。

これは、従来から組合が強く主張してきたところであります。

過去の事件を考えて頂ければ、公務員の事件は常に現場から発生しているという反省に立たなければなりません。国営鉄道の不採算性は現場のモラルの低さにあり、真面目に取り組んでいる鉄道員がスポイルされてしまうという体質にありました。上司がそれを正そうといくら頑張ってみても、クビにならない公務員、人事権が働かないガバナンスの無さが好き勝手放題を許してしまっていたからです。

最近の例で言えば、社会保険庁の年金にまつわる事件も現場から発生しており、職員のモラルの低さは管理職のガバナンスが現場に全く効かないという事が原因でした。データ整理にコンピューターを持ち込もうとしても、手書き処理に慣れていた現場からのコンピューター導入反対運動に遭い、闇協定を結ばされ、1日 5千タッチ以上はパソコンのキーを叩かせるなとか、45分働いたら 15分休ませろとか、民間企業では有り得ないルールが現場を支配していました。

公務員制度改革は、上から下までグリップ力の差はあれ、政府のガバナンスがしっかり届くという事をその目的としています。事件を起こし就務態度不良の社保庁職員を新たな組織の日本年金機構では採用しないと決定した自公政権時代の方針を覆し、民主党の官房長官が厚労省で採用しろと長妻大臣に申し入れたのは記憶に新しいところです。

次官から部長まで一つの職制にしただけでお茶を濁す事は、民間会社でいえば社長から部長まで同一職制、つまり社長は筆頭部長であり、専務・常務は次席部長という改正を意味します。筆頭部長から部長へは通常の人事異動、つまり社長が次の異動で部長になるという事は降格ではなく、通常の人事異動と理解する事を意味します。

つまり、説明責任は不必要であり、政治におもねるだけの役人集団を作るという事を意味します。

 

今週の出来事「天地神明(知んめぇ?) 

 

確定申告の季節になりましたが、今年はご想像の通り税務署の窓口で異変が起きています。

鳩山総理が 13億の贈与を、天地神明に誓って「知らなかった」、小沢幹事長が30億の不実記載を「知らなかった」という事でお咎めなしなら、真面目に申告するのがアホらしいという現象です。

窓口で申告書類を示しながら「あのぉ…、『知らなかった控除』の欄はどこにあるんでしょうか?」と、問い合わせをする場面が出てきそうです。

甘利事務所に問い合わせがあった場合は「限度額は月 1,500万までですからね。」という事もアドバイスしてやろうかな。